人々の闘い
上司独断の退職勧奨

精密機械製造販売会社大阪支店勤務柳本正人(38歳)
 
■辞表を要求される
五月末のある日、出勤して私の直属の上司である大阪営業所長より突然「君、少し時間いいだろう」と声をかけられ、営業所近くの喫茶店に呼ばれた。所長は、少し言いづらさを含めて話をし始めた。「君を今までずっと見ていて色々考えたんだけど、やはり君はうちの営業スタイル、このような業界には不向きだと言わざるをえない。もっと君に合った業界の営業を選んだほうがいい、このままうちにいても君にとって不幸なだけだろうし辞めてもらったほうがお互いのためにも良いと思う。要は辞表を提出してもらいたい。今週いっぱい待つのでとにかく書いて持ってきてください」との事であった。
私は情然としてしまい、納得いかないという思いが強まるのをこらえながら、何も考える事ができず、聞き手にまわるよりほか無かった。その日の午後、所長と二人で外出する事となったのでタイミングを見て私は「東京本社の他の部署での受け入れを考えて頂く事はできないでしょうか」ともちかけた。すると所長は「おまえに何ができる。技術なんてできっこない、資材だって総務だって人は足りている。まして生産管理なんて技術以上に製品の知識が無いとできない、本社に受け入れる部署なんて無い。まあ、おまえがどうしてもって言うんなら本社の総務に話しぐらいはしてやってもいいよ、相手にはしてくれないとは思うけれどな」と言う。
私は、所長の考えで会社の考えではないのではないかという思いがしてならなかった。以前にも所長は独断で物事を進め、何度か本社サイドより却下されているケースがあったからである。そして、所長が提出期限としていたその週の末が来た。私としてはもちろん本社での受け入れの検討を持ちかけた形で話を終えているし当然こちらから切り出すべき内容のものでもないので普段通りに仕事を続けた。
二週間が経った六月の初め再び所長が私に前と同様に声をかけ、喫茶店に連れて行った。口を開くなり「辞表を書く気になったのか?」と一言。私は「以前お願いした本社での受け入れの件についてはどうなのでしょうか?」と回答を求めた。所長は「先週の土曜日に本社へ行って話すだけは話してきたよ、ばかばかしいけど、何を言ってんだって言われたよ。無理だようとにかく遅くとも来週の月曜日には辞表を書いて持ってきてくれでなければ解雇通知を会社から内容証明付きで出す」ということで、真剣に検討してくれたのかどうか疑問が残るものだった。
 
■書面で退職勧奨を拒否
私は納得が行かず、所長の独断であるなら何とか私の思いを本社に届かせたいという事も有り、管理職ユニオン・関西に相談に行った。退職勧奨に応じない旨の書面を渡しなさいと言う助言をいただき、管理職ユニオンに入る決心をし心強い味方を得たような思いになった。
再度提出期限とされた月曜日がおとずれ、この日の朝のミーティングで、私に辞めてもらうよう話しをしていると所長は公表し、私が担当していた得意先の振り分けを始めた。この時ほど立場がなくみじめな思いをした事は無かった。定時近くになり所長が私を呼び「もう時間も無いのだから帰る準備をしてください。明日からは来なくていいのだから私物をまとめて会社のものは置いて帰ってください」と言う。
私はもう少し時間稼ぎがしたかったので、何とか明日ぐらいは所長も直行で外出予定となっていたので、出勤できるような方法がないかを考えていた。私に一つの考えが浮かんだ。所長はタイプとして頭に血が昇りやすく、とっさの事態に対しては言葉を失ってしまうのではないかというように思え、定時になったら突如「考えさせてください」と所長に言葉を掛けさせる
すきを与えず営業所を出ればどうかと思い、定時までの二時間ほど私は沈黙しその時を待った。所長は案の定、言葉にならないような何かを口走ろうとしていたが聞こえないふりをし無視して帰宅した。思うつぼであった。私は、翌日も定時に出勤した。予定通り所長は朝から直行で事務所には顔を見せなかった。
一六時頃営業所に帰る予定となっており、営業所内には同僚と私も入れて三人となった。私はまだできれば人に知られずもって帰りたい書類が残っていたので、これは昼休みに食事を取る気になれないと他の同僚に告げ、事務所に一人になったすきに急いでカバンの中に詰め込み、走って駅に行きコインロッカーに放り込んでおいた。ひざが笑っていた。駅まで走ったために汗だくになり、食事から帰った同僚から「体調わるいんか?」と言われ、これ幸いに軽くうなづいておいた。まだひざが笑っていた。
所長の机の上に退職勧奨には応じない旨の書面をおいた。予定通り所長は一六時頃外出先より戻り、その書面を見るなり開き直った口調で「わかった」と第一声を発しそうとう頭に来たらしくその後も「会社と争うって言うんだね、いいよ、管理職ユニオンだろうが何だろうが行けばいい、そんな所にいったい何ができるって言うんだ。会社にだって解雇する権利があるんだ。おまえも大学出てんだったら労働三法の一つくらい勉強してから来い」と訳の分からない事を口走り出した。更に続けて「今すぐ荷物をまとめて出っててくれ、明日からは事務所へは一切入れさせない」という。私はこれで完全に決裂であると感じ、私一人ではどうしょうも無いと思い、再度管理職ユニオン関西に足を運んだ。
様々に意見を聞いた結果、団体交渉の申入書を会社側に送る事を決心した。
 
■団体交渉
会社側は団交に応じてきた。これと同時に解雇予告通知が私の自宅に送られてきた。解雇理由は「就業状況が著しく不良」との事であった。
団交の場所は大阪営業所、組合は私を含めての六人。会社側は総務部長、大阪営業所長、同僚一名の三人。
「就業状況が著しく不良とはどういう事ですか?」とのユニオンサイドの問いかけに対し、所長が説明をし始めた。まず経歴書の一四年間の営業活動、実績に期待して採用したが成果が伴ってこない。募集要項には三五歳までとしていたが三七歳であるにもかかわらず採用した。
営業マンは足でかせがなければならないのに外出日数が少ない(この時の言葉が、後の営業は足だと言う名言になろうとは私は予想もしていなかった)など、一般的に理解されている解雇理由とは程遠いものであった。これを聞いて組合は「その様な理由で解雇ができると思われているのですか?もっと労働法を研究されたほうがいいですね」とやりかえした。勉強しなければならないのは所長のほうであった。
更に、組合が一喝「そこに席が空とんねんから座らしたったら、済む事とちゃうんかい、足で稼げ足で稼げって、あんたの営業スタイルはもう古いんとちゃうか」総務部長は気後れしてしまい「そんなに大きな声を出さなくても穏やかに」これに対し組合は「当り前やないか、こっちも穏やかにやなぁ、話し合いに来てるんや」。私も恐かった。この日の団交では会社側は一歩も譲らず、再度団交を行う事を示唆し組合が要求書を出すと言う提案をし終了した。
この後、少し時間を置き要求書と第二回団交の申入書を発送し会社側から第二回団交に応じる旨の回答書が送られてきた。私は第二回団交でも解雇の撤回には一切応じないであろうと予想していたので、その後の様々な展開を想像せざるを得なかった。
 
■解雇の白紙撤回
どうした事であろう-団交予定日の二日前、突然私の自宅に総務部長から電話があり解雇は白紙撤回すると言うのである。理由は総務部長から社長に、昨日初めて今回の経過についての詳細を説明し、それを聞いた社長の判断であるとの事であった。
但し条件はあった。その条件は二年から三年の間、東京本社で勉強してから大阪へ戻るというものであったが、その後条件は緩和され技術研修という形で約六ケ月間、本社に来てもらいたいという事となったので、私はそれであればと思い承諾し一応の決着をみることとなった。
大体このような経過を経て、私の小さな戦いは終わったかのように思っております。そして現在のところは本社で特に嫌がらせのような事も無く、機械の組立作業の手伝いをしながら仕事に励んでいる次第です。
しかし、いつどこで第二ラウンドのゴングが鳴らされるかは分かりませんので、そのあたりは常に念頭に置きながら注意深く見ていく必要があるのではないかと思っております。
今回の私の問題は、私の直属の上司が自分の管轄する部門の実績が思わしくなく、今後の見通しも立たないまま、何か対策を講じなければ自分自身の立場が危ないという考えが根底にあったのではないかと思われます。売上を伸ばせる見通しが無いとなると経費を切りつめるというのが手っ取り早い手段であり、人件費に目がいき、弱い立場の人間をターゲットにするという何もめずらしいケースではないように思います。
このような場合それまでの経過、部門での実績、上司の対応、性格などを総合すればどういう目的で何を意図しているのか自然に見えてくると思います。その結果あまりにも客観性を欠き、納得が行かないせいうのであれば当たり前の事ではありますが、断固戦うべきなのではないでしょうか。 ただ、世の中には戦い方もわからず、また、それ以前に仕方が無い事だからと諦めてしまっている人が大勢いるようにも思います。この人たちのために何らかの形で手遅れにならないうちに救いの手を差しのべる方法がないものかというのが、今回の私の経験を通しての感想であります。

 
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