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一年に二〇〇人がリストラ解雇
道路建設関連会社勤務吉川保雄(47歳)
■退職勧奨を拒否
一九九八年退職勧奨をうけたが拒否したため、閑職にされ、耐えること約一年。その後二月はじめ東京支店に転勤の内辞を受け四月一日より職場復帰。以下私のこの一年の体験談。
忘れもしない九八年三月六日、神戸営業所所長のAから突然退職勧奨を受けた。「会社が経営再建のため従業員を二二〇〇人体制から二年で一八〇〇人体制にする。今年二〇〇人、来年、二〇〇人リストラする。関西支店で今回一七人対象になっている。おまえもそのひとりだ。退職の条件としては既定の退職金は全額払うのはもちろん、昨年の年収の一二分の
一〇を加算する」というものであった。
一部上場の舗装会社とはいえ会社には労働組合がない。はて困った。突然のことなので「しばらく考えさせてください」とその場では即答しなかった。その晩、女房に退職勧奨になったことを告げたが、女房、突然のことで言葉もなし。その夜からあれこれ考え睡眠不足になる。
会社の一部ではすでに退職勧奨が始まっているのは知っていたが、まさか自分がリストラの対象になるとは夢にも思わなかった。しかし退職勧奨は現実のこと。評価が低いのはわかっていたが,成績は普通だと自分では思っていたがまさか成績不良者とは--
Aは九七年から着任しているから評価は前任の所長Mがつけたものか。愚痴を言っても仕方ない。こうなったのも自分の不徳のいたすところであり,誰を恨んでもしかたのないこと。責任は自分で持つ。ピンチはチャンス。よし,この事態は自力で乗り切るしかない。なんとしてもこの事態はのりきってやる。そう心に言いきかせた。
不況でボーナス,手当は一昨年から下がる一方。年収もさがってきた。時を同じくして一戸建ちの家を購入するべくさがしていた。理由は女房の母が高齢のため「なるべく近くに住みたい」との女房の親孝行にむくいるため。娘は女房一人。九七年末,K市に適当な物件を見つけ契約。世の中不況だし年収も下がり気味だが「ことしはがんばるぞ」と誓い,契約の手付けを二月にうったばかり二ケ月もたたない間に我が身がリストラの目にあうとは。おまけに長男は大学不合格で浪人の身となる。今年はいったいどう
なるのやら,と溜息がでた。しかし家が完成する七月末まではなんとしても歯をくいしぼって会社におらなければ銀行は融資をしてくれないことは目に見えている。
三月未,退職しない旨を所長のAと支店長のKに話をする。翌日、案の定Aから執物にに退職するよう一時間以上私に対する罵言雑言の数々。
「成績が悪い。思いあたることがあるやろ。係長が多すぎるので辞めてもらう。一年近く見てきたがやる気がみられない」などとこじつけばかり。どうやら支店長のKからの入れ知恵であることはみえみえ。
■管理職ユニオン・関西に加入
四月はじめ、本屋でリストラ対策のマニュアル本を数冊購入。さっそく東京管理職ユニオンに連絡したところ管理職ユニオン・関西を紹介していただいた。書記長の仲村さんの的確なアドバイスを得て、その場でユニオンに加入手続きをした。会社の社長宛に「通知書として内容証明」を発送したのが四月五日。ちょうどその日は明石大橋の開通の日。会社のトップは開通式に出てうかれている。
四月末日より五月一日より関西支店に出勤するようにと指示があった。仕事の中身についての話はなく、五月一日関西支店に出社したら、机はあるが電話なし。支店長のKは「自分自身で自己研鑽してください」と言い、本社からの指示なのかどうか不明。ごねても仕方ないことなのでしばらく様子をみるべく本をかたっぱしから読む。パソコンはある程度するのでJW-CADもこのさい学習してやれと学習した。その間Kから五月一日付けの辞令を受嶺関西支店支店長付きを命る。どうやら首はつながった。同僚は六月末までにみな静かにやめていき、生き残ったのはどうやら私ひとり。
■希望通りの人事異動
出社はするが仕事はなし。これほどつらいことはなく、死んだふりしている毎日。ぼんくらの上司からは冷ややかな目で,「ざまあみろ」といわんばかり。女性からも腫れものにさわるようなあっかいを受け,まともに扱ってはくれない。総務の者が社内の人間で私と言葉をかわす者をチェックしており,私を監視しているものだから誰も声もかけない。そんななか唯一営業の0先輩は,ときどき飲みにつれて言ってくれた。地獄に仏とはこのこと。たったこれだけのことだがずいぶん心強かったしありがたかった。
ただ忍の一字。七月からなにか資格を取らなければと一念発起して国家資格試験の学習を開始。その間に新居は無事完成。銀行融資も無事得られ、やれやれ。状況が一変したのは二月八日の朝のこと。支店長のKから,みんながいる前で大きな声で「吉川!昼から話があるから支店長室にこい=‥」。「いよいよ来るべき時が来たな」と覚悟して支店長室にはいった。
開口一番Kは「今朝本社から転勤者の内示があり七名転勤する。君は四月一日付けで東京支店に転勤です。これは正式な通知です」とのこと。こちらは思い描いていたこととまったくちがうので一瞬言葉もなし。「そうですか。がんばります。もうしばらくおりますがよろしくおねがいします」と答えたのがやっと。本来なら転勤者については本社・支店・受け入れ支店などで調整するのだが今回は支店長抜きで決まったとのこと。Kは自分をさしおいて人事が決定したことにショックだったらしい。
女房には早速電話して東京支店転勤のことを報告。家に帰って「本当?」と信じられない様子。二重生活になるのは苦しいが辞めることをおもえば楽なもの。その夜は久しぶりにおいしいビールを飲んだ。女房も私もその時は,ただうれし泣きに泣いた。信じられない。翌日の夕早速先輩に整口がてらいっしょに飲んだ。先輩は「吉川本当か-良かったな」とこころからよろこんでくれた。
■責任は自分にある
私もいったんはリストラ対象者になりましたが、今回おもいもかけず地獄から生還できそうです。自分に謙虚で、自身に恥じることがなければこわいものはありません。「冬は必ず春となる。ピンチはチャンス。変毒為薬(毒を変じて薬となす)」を今回わが身をもって体験しました。貴重な体験です。私は愚痴は言うまいと心に決めています。責任は自分持ちだからです。上司が悪い、あれが悪い、これが悪いと言ってもしかたない。
捨てる神あれば拾う神あり。これからが勝負です。今回のリストラで会社に残ったのは全国で1人だけだそうです。みんなが見ています。私はがんばります。
家族のためにもまだまだがんばらねば。状況はきびしいが、この一年のことを思えばなんでもできる。近々転勤者の正式発表があるでしょう。きっとみな私のことを聞いたらびっくりするでしょう。正式発表あるまでもうしばらく死んだふりしておきます。
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