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自己都合の退職届を強要されて
滝川淳一(54歳)
■退職勧奨をその場で拒否
今年一月から、私は自宅のある、麗しい大和「奈良市」から、茨城県に単身赴任を強いられています。私が筑波に来ることになった、そもそのもきっかけは、一二月一四日、上司から突然に、「今日の日付で自己都合の退職届を出して欲しい」と言われ、理由を聞くと、「自分としては不満はない」とのことで、暗にオーナーの意向であることを知りました。そこで自分としては、「自分の都合ではないので書けない」旨、回答しました。そして翌日には、 一四日の不合理な退職勧奨の事実(社長の発言内容)を書面化し社長の署名捺印をお願いし頂くことができました。
それらの交渉過程を知ったオーナーが怒り、「以降の対応は自らやる。-滝川を得意先へ行かせるな」と上司に指示がありました。この時点で私はオーナーと対決する意志を固め、どういう結末になるかを予想しました。
■自宅待機、転勤、降格
二一月二一日、本社に呼ばれオーナーから直接「退職勧奨は無かったことにしてくれ。配転先を考えるから、それまで自宅待機してくれ」と言われました。私は「無かったことにはできない。配転も希望しない。自宅待機を説明して欲しい」と対応しました(事前に読んだ就業規則にも自宅待機の記載がなかったためです)「これは命令だ」との返事で、「命令なら従う」と私も返事しました。期日のない自宅待機であったが、 二一月二四日に本社に呼び出され、「印刷センターの筑波駐在で、インキの総合的な管理をやってもらう」とのことで、正月早々の転勤命令でした。私はここでの即答を避け自宅待機について命令なら命令書を出すように総務に要求したところ、その書面には「個人と会社の任意合意により--」との表現があり、事実と異なることから、会社のペースにはまるのを避けるため、一月二日に回答することにしました。
そして正月早々に,法律事務所を訪ね、弁護士の先生と相談、「不服なら、その意志表示をすること。裁判をするにしても退職してしまっては聞えないので、取り敢えずは会社の転勤命令には従うこと」など,アドバイスを頂き、二日にはそのように会社に回答しました(法律事務所からは, 一八日文書で転勤に不服であることを会社に通達してもらいました)
一月三日から筑波工場に赴任しましたが、待ち構えていたのは、総務の説明とは異なる現場での作業で,有機溶剤を使用する印刷インキの調合作業でした。もちろん、話が違うということは主張しましたが,「命令ですので」と言われました。そして追い打ちをかけるように、二月一日から二階級の降格を言い渡されました。理由は懲戒で、昨年一〇月に発生したクレームの責任をとれ,というものです。就業規則では、「降格の場合は本人から始末書を取り--」とありますが,私は始末書など書いたことはありません。またクレームは購入した材料の品質の不備で起こったもので,メーカーも認めており、会社と補償交渉中のものです(結局、給与は
実質約一五万円/月ダウンすることになりました)
■社訓はどこにいったのか
以上の経緯の中で、弁護士の先生から、 〝管理職ユニオン・関西〃を紹介して頂き,二月九日組合を訪問、その日に加盟すると共に会社に対して団交の申し入れをしました。
二月二五日、三月二六日と団交を重ねましたが、会社からは何の譲歩もなく,当面裁判と抗議行動の二本立てで、解決の糸口を探そうとしています。尚ここで明確にしておきたいのですが、私も家族も会社には感謝しています。これまでの完年間でのいろんな出来事は,私には良い経験をさせてくれましたし啓蒙されることが多かったからです。もちろん経済的にも。
従って今後どのようなことがあっても、感謝の気持ちは持ち続けていくつもりです。今、私がチャレンジしているのは、〝オーナーの人の使い方?について異論があるからです。これまでにも多くの管理職の人たち(それぞれ立派な功績のある人たちです)が,定年を待たず退社していきました。昨年も五名の管理職が、定年を待たず辞めております。そのことについて
も、会社はみんなそれぞれの自己の都合で辞めていったというでしょうが、社内ではいろんな情報が流れています。
私が退職勧奨を受ける当事者になったことで、これまで感じていた不合理について,この際会社に対する、ご恩返しのつもりで、改善を要求したいと考えています。社訓は「創造を夢と呼ぶ、創造へのチャレンジを勇気と呼ぶ、創造のぶつかり合いを信頼と呼ぶ」というものですが、私は管理職が定年まで働ける会社にしたい。劣悪な退職金制度の見直しなどの「創造」にチャレンジしています。確かに勇気がいります。そして何故か、信頼どころかクビになりかけています。以上が現況です。
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私たちは、あらゆる不公正・いわれ無き格差と戦います。
